出羽三山平成21年7月10日


天候(雨〜曇り)                       湯殿山〜羽黒山



 

湯殿山


今年で13年目の出羽三山お参りです
郡山を出てから湯殿山まで強い雨が降り続いた 湯殿山に到着して奥の院行きのバスに乗ると
今まで降ってた雨がピタリと止み暴風のような天候が一変したのには不思議な思いが過ぎる。



記録の文面は出羽三山のホームページから抜粋した文です




 

奥の院

湯殿山は標高1,500mで月山に連なり、
伊勢・熊野と並ぶ三大霊場のひとつです。その北側中腹、
梵字川の侵食によってできた峡谷中には、五穀豊穣・家内安全の守り神として崇敬される湯殿山神社があります。
出羽三山の奥の院とも呼ばれ、月山・羽黒山で修行をした行者がここで仏の境地に至るとされています。







 

湯殿山神社                      薬師岳


平成二十一年は出羽三山丑歳御縁年にあたります。
三山の一つであり、奥の院である湯殿山が、
丑歳に御開山されたことから
湯殿山の御縁年をもって三山の御縁年とされています。
十二年に一度の丑歳に参詣すれば、
十二回お参りしたのと同じとされ、
大変なご利益があると伝えられてきました。





 

仏像



  

玉姫稲荷神社                   仙人岳







湯殿山神社(大鳥居)




 

SEI                    宿坊(小林坊)


〜神山を駈ける 神秘な霊場、鎮魂の修行〜
東北の霊場出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)は、推古元年(西暦593年)に、
第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子がお山を開かれた事に始まります。
以来、修験の山、精霊の山、行の山として広く篤い信仰を重ねて来たお山です。
皇子の厳しい修行を今に伝える羽黒派古修験道の山伏修行が現在も厳修されております。
大自然に身をゆだね、神秘な霊場である御神域に籠もり、神山を駈け、水垢離をとり、神前に額づき、
禊と鎮魂の修行を通じ現代に生きる我々が忘れてしまった日本人の心を呼び覚まし、自己を見つめ直していただくために開催致します。






 

羽黒山神社

出羽三山とは、羽黒山・月山・湯殿山の総称で、崇峻天皇の御子である蜂子皇子の開山である。
皇子は、蘇我氏の難を避け、海路を経て出羽の国に入られた。
そして三本足の霊烏の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒権現の御示現を拝し、 
羽黒山頂に羽黒山寂光寺を建立して権現に奉仕したという。
次いで皇子は、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧進して羽黒三所大権現と称した。

 その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄大師や修験道の祖と云われる役の行者、
また真言宗の開祖弘法大師、天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行したとも伝えられている。
こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派古修験道となり全国に名を知られ、
時代を重ねるにつれ人々の厚い信仰を集めることとなった。

 三山は神仏習合時代は真言宗を中心に八宗兼学の山として奉仕、江戸時代に入って
天台宗に改め奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離し、古への神奈備山にかえった。
延喜式によれば、月山神社は名神大社、出羽神社は小社に列せられた古社であったが、
明治維新の神仏分離を経て、月山神社は官幣大社に、出羽・湯殿山の両神社は国幣小社に列せられた。

 さまざまな制度上の変革を経ても、人々の三山に寄せる信仰そのものは昔のままに持続され今日に及んでいる。



 

本殿                    杉並木


1400年余りの歴史を有し羽黒修験道の総本山として、
国の重要文化財指定御本殿「三神合祭殿」を初めとした数々の所産と、苔むした2446段の石段、
樹齢数百年500本を越える天然記念物指定の羽黒山杉並木など、世俗を離れた幽玄の世界です





 

無縁塚                    五重塔












 

参道にある滝                 参道の橋

昔三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についた。


湯殿山〜羽黒山のお参りは雨に遭うこともなく済ませることが出来ました
明日は月山へ山頂までの山旅も楽しみです

・・・明日に続く・・・


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