伊勢参り平成19年5月3日


天候(晴)               還暦の年(第二の人生がスタート




内  宮


「伊勢神宮」は通称で正式名称は「神宮」 全国の10万を超える数の神社の中でも最高位のお宮として、 
2000年以上も前から現在の伊勢の地に鎮座しています。















 

お泊まりの宿(神宮会館)                 神宮前の通り








 

五十鈴川 (かつてはここで身を清めたという)                   内宮の庭









 

内 宮 (正 宮)  拝殿の様子

伊勢神宮は、主に「皇大神宮(こうだいじんぐう)」と「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」の2つを指します。

皇大神宮は「内宮(ないくう)」といわれ、皇室の大御祖神(おおみおやがみ=日本人の祖神)で、太陽にも例えられ、
生命の本源を与えてくれる神である天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられています。
御神体は三種の神器の一つ、「八咫鏡(やたのかがみ)」。

豊受大神宮は「外宮(げくう)」といわれ、
日本人の主食である米を中心に「衣食住・産業を司る神」である豊受大御神(とようけおおみかみ)がまつられています。
もとは丹波の国にまつられていましたが、雄略天皇の時、現在の山田の地(伊勢市駅近く)に鎮座しました。












 

神宮(伊勢神宮)は本来、内宮・外宮を始め
別宮(べつぐう)・摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・所管社(しょかんしゃ)などを含めた
総数125社の総称です。この場合、伊勢市のみならず4市2郡にもまたがることになります。












おかげ横丁

昔のお伊勢参りは「おかげ参り」と呼ばれ、「おかげで元気です」という感謝のお参りでした。
江戸時代に幕府が伊勢神宮を保護し、お札のおまけに暦を付けることまで許可したので、
神宮の名前は全国に広がりました。幕府は人々が勝手に全国を旅することを禁じていましたが、
お伊勢参りだけは特別に許可。こうして伊勢神宮は国民的な神社となり、お伊勢参りが大流行することになったのです。










 

ひもの塾(数種類の焼き魚の試食が出来る)                  おはらい町の案内板


ひもの塾は参拝者が「おかげ横丁」に買い物や食事に寄る方に声をかけ 
”食べていきな” 歩きながら食べてはダメだよ!
美味しいと言って食べるが 帰りに買ってくれる人は殆ど居ない等と笑わせながら魚を焼いてたのが印象に残りました








 

おかげ横丁の一角

伊勢名物「赤福」が内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで約300年間 変わらず商いを続けてこれたのも
お伊勢さんの「おかげ」と言う感謝の気持ちを持って 平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」です




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