山のことば     ※ (深田久弥  日本百名山より抜粋)

1) キレット
山の言葉にキレットと言う用語がある
キレットとは何を指すのか
日本の言葉で漢字で記せば「切戸」あるいは「切処」とある

大きな山と山を結ぶ深い切り込み 手足を存分に使い下り
そして再び登る緊張感。運命のくぐり戸に「切戸」を当てたとあります。

2)アルバイト
アルバイトとはドイツ語で労働のこと
山用語でアルバイトとは(厳しい・きつい登り)のこと。

当然ながら稼ぐのは高度に尽きる 無償の労働である
激しい運動に心身は鍛練され体にカツが入り
精神衛生上もこれ以上の儲けはない

3)キジ撃ち
「キジも鳴かずば撃たれまい」と言う諺があるが
国鳥ながらキジは狩猟鳥獣として認められてる

ところで登山中にちょっとキジ撃ちに行ってくると告げられたら
間違っても興味本位でついていってはいけない。
草むらに隠れてコソコソまでは本物のキジ撃ちと一緒だが
登山用語のキジ撃ちは、つまり用を足す事である

状況によってはオオキジ・コキジと使い分ける
「お花摘み」は女性の場合の一般的な用語です


4)ゴーロ
ゴーロとは、ゴロゴロと大岩や石が転がってること
深田久弥も書いてるように黒部の奥の岩が転がる山(黒部五郎岳)
野口集落の岩が転がる山(野口五郎岳)と言う訳である

ただ野口五郎岳の五郎は人名という異説もあり
必ずしもすべて五郎=ゴーロではないかもしれない。

5)賽の河原
この世とあの世の境を流れ、人が死んでから7日目に渡るのが
三途の河原で この川の畔に広がるのが賽の河原
荒涼とした河原には死んだ子供の霊が彷徨い父母を恋い慕いながら
河原の石を積み上げる それを鬼が崩してしまい泣きながらまた積み上げては
崩されると言う繰り返し・・・・

このイメージえお現世の自然の中に当てはめたのが日本各地に点在する
「賽の河原」である

6)オカン
山用語のオカンとはテントなどの宿泊用具を持たず野を宿とすることである
カッパまで着込み ザックに足を入れて ひざを抱えて岩陰に身を寄せる様な
遭難一歩手前のせつない夜明かしのことだ

その状態をなぜオカンと言うのだろう
夜明けまでの長時間 背筋をムズムズと走る悪寒から発生した言葉だろうか
あるいは最悪に事態を迎えてお棺に横たわることが言語だろうか・・・・

7)一本
「一本立てる」とは休憩をとると言う意味である
山道で荷を運ぶポッカ(歩荷)さんがその背負子にした荷に杖をあてがい
立った姿勢で休憩をとることに由来する言葉である

8)三角点
真四角なのに三角点とはこれいかに。
登山やハイキング中、よく山頂で出会うのが三角点の四角い標柱だ。
三角点には一等から四等まであり 一等は約45kmの間隔で設置されてる
三角点とは 地図を作る三角測量の基準の点 つまり三角点の「三角」は
この三測量に由来してる。

9)頭
山の固有名詞にしばしば使われる言葉の一つ 沢や谷の源頭部であることが多い
例えば丹沢山塊には 数多くの頭がある 丹沢山と宮ヶ瀬を結ぶコース上など
頭の展覧会とばかりに ずらりと並んでる

なお頭は多くの場合 アタマと呼ぶのが通例 一部にカシラと呼ぶ場合もある
但し越中富山ではズコと呼ぶ場合が多い スゴノ頭は「スゴノズコ」と呼ぶ

10)合目
一部の山にのみ出てくる昔の里程表示である
登山道を1合目、頂上を10合目として登山コースの目安に区切ってる
日本独特の表現と思われる

歩きやすい道に比べ 急峻な道になると合目石の間隔は狭くなる
距離ではなく 難易度や疲労度を考えて十等分してるようだ。
もちろん例外もある 恵那山では九合目を過ぎて十合目になっても
頂上は遥かかなた頂上に至るまでは延々と二十合目まで在る


11)お花畑
山のお花畑は過酷な環境に耐え抜くタフな草花の集まりである
凄まじい烈風と生理的乾燥 あるいは夏のひと時しか解けない積雪に耐え
未発達の薄っぺらな土壌に根を踏んばる 雪解けとほぼ同時に成長を開始
短い夏に開花 結実を果たし 完全燃焼で生を謳歌する

こうした健気にしてしたたかな花々の生き方も お花畑が持つ一面である。

12)馬の背
「馬の背」だが馬が身近な存在であったからこその名前であろう
馬の背とは両側が切り立った細い尾根=ヤセ尾根の意で使われる言葉である
ただ通行に支障をきたすほどは切り立ってない場所が多いようだ

馬の背より幅広い尾根の場合は「牛の背」と呼ばれることがよくある
一方 馬の背よりさらにスパッと切り立った尾根はナイフリッジ(またはナイフイッジ)と
呼ばれる事が多いが なかには「蟻の戸渡り」と名付けられる場所もある

牛も蟻も大小の差こそあれ 馬同様身近な生き物であったのだ
ちなみに六甲山系には「山羊の戸渡り」と言う痩せ尾根がある
果たして近辺では多くの羊を飼っていたのだろうか。

13)野湯
ノウと読む人もいればヤトウと読む人もいる 人工的な入用施設のない
天然自然温泉のこと、 八ヶ岳の本沢温泉・北アルプスの高天原温泉・苗場山の赤湯などは
自分の足で行かなければ辿り着かない温泉で秘湯といえる。

これらは山小屋や旅館が管理してる温泉であり厳密な意味で「野湯」とは言わない
野湯と言ってもその状況は様々で車から降りて直ぐ脇に湯煙を上げる物もあれば
登山道の直ぐ脇に沸々とわくものもある しかし深山にわく本物の秘湯も少なくない。

14)ボッカ

ボッカは大荷物を背負って運ぶという意味で使われる山用語である
それ日本語なのと聞かれると、ちょっと詰まってしまう
ボッカは「歩荷」「背荷」「物荷」などと当て字されるれっきとした日本語だ。

古くから越中や信州で使われてた言葉らしい
ことに 信仰の霊山・立山では標高約3000mの雄山に鎮座する雄山神社奥社への講中登山が
盛んだった江戸時代中期ころに建てられた室堂などへの生活用品や資材の運搬一切が 人の背で
行われてた。 その際の荷稼ぎ労働者の事をボッカとよんでいたようだ。

15)ガス
ネコの目のようにめまぐるしく変化するのが山の天気。
雲一つ無い青空が山頂に着くやいなや、濃密な霧の塊に飲み込まれ あっと言う間に
右も左も上も下もわからない白一色の世界に包み込まれることさえあるのだ。

こういったとき、あまりの悔しさに口をつくのが「ガスった」の一言
この場合のガスとは霧のことだ。ガスが沸くと言いば霧がわくことであり
それが変化して「ガスる」などと言う使われ方もするわけだ。

16)ピーカン
雲一つ無い青空をピーカンという
あまりの空の広さと青さ すがすがしさに「どピーカン」と強調して使われることもある

このピーカンとは 缶入りピースを語源としてるようだ もちろんピースはたばこの銘柄。
濃紺色の他にオリーブの葉をくわえたハトがデザインされてる缶に両切りたばこ50本入りで売られてる
この缶の農紺色が雲一つ無い青空を連想されることから ピーカンと言う言葉が誕生した
と言う説が有力だ。

ちなみにピースがこのデザインに成ったのは1952年(昭和27年)デザインは
レイモンド・ローウィによる 20世紀を代表する工業デザイナーである


17)カモシカ山行
カモシカ山行と言う言葉がある
夜を徹し長躯早躯でひたすら山を歩き続けることである
山岳会のトレーニングとしても、しばしば行われる山行き形態だ、このカモシカ山行
てっきりカモシカの脚力に由来する言葉なのかと思いきや、そうではない

戦前から戦後にかけ山岳雑誌 ガイドブックなどの執筆で活躍した中村謙氏はカモシカ山行について
自著「山と高原の旅」に「私のペンネーム、加茂鹿之助を冠して、加茂鹿之助式夜行日帰り山行」
略して「カモシカ山行」または「カモシカ行」と言うのだと記してる。


18)ブキ
武器とはスプーンのことだ 軽量化・単純化と言う山の生活の象徴のようにかってスプーンは
唯一「武器」の尊称を奉られていた 箸ややホークは代用品であった。

ただし現在では山で食事を取るための物を総じて「武器」と呼んでるようである
ではなぜ武器なのか? 昭和20年代 敗戦の傷跡が生々しく 日々の食料さえ乏しい慢性的な
飢えの時代 それでも山へ行く山岳会はあった 合宿では 食料の調達から炊事までを食事当番が仕切る

「飯だあー」の一声に オオカミのように飢えた若者たちが勢揃い 一杯めは食事当番が配り
リーダーの「いただきます」で一斉にスプーンでかき込む 残り少ない二杯目は早い者勝ちなのだ
一杯目ではとにかく飢えを満たし 運良く二杯目にありつけたらゆっくりと味わって食べる

この殺気だった場面での主役 それが「武器」でなくて何であろうか!

19)ソータイ
「ソータイ」は遭難対策を目的とした特別な「ソーター無線」での交信である
登山者たるもの 遭難現場に居合わせた際には 積極的に力を貸すのが心得
(むろん自らの安全を確保してからの話だが)また山小屋スタッフが遭難現場に駆けつける事も多い

さらにこの様な臨時の救助人員ではなく 組織された民間の山岳救助隊も活躍してるのである
その代表格が「ソータイ協」でもちろん職場や学校での早退を推進する協会のことではない
「遭難対策協議会」の略称でさらに簡略化され「ソータイ」とも呼ばれる団体だ。

20)ラク
苦あれば楽あり という慣用句はそのままピッタリと山登りに当てはまる
ところで 山での「ラク」は楽ばかりではない。登山中に「ラクー」「ラーク」と言う大きな声を聞いたら
とっさに全神経を集中し 身に迫る危険に対応しなければならないのだ、ここで使われる
「ラク」とは落石のことだからだ。

さて落石には様々な原因がある 雪解けや霜どけでゆるんだ岩や石が剥離したり 気温の変化に伴う
膨張と収縮が岩をもろくさせることもある。地震で巨大な岩がごろりと転がり落ちる事さえ在るのだ。
とにかく万有引力が働く限り落石の発生を止めることは残念ながら出来ない。

また、自然要因だけではなく 人工落石による事故も少なくはない 絶対にあってはならないことながら
万全の注意を払って手がかり足がかりした岩や石でさえ ちょっとした力の加減でぐらりと落ちてく事も
ない訳ではないからだ。

21)幕
幕、とはテントのこと。 ちなみにテント場はテン場とも略すが、幕場とも言う
多種多様のテントの中で 登山様テントは独自のそして高度な発展を続けてる。
例えば 形状、古くは三角形 家形が支流であった、近頃はまずお目にかかれない。

カマボコ形もすっかり影を潜め、現在目に付くのはドーム形ないしそのバリエーションが殆どである
素材も随分進歩してる 幌布からビニロンと軽量化されさらに透湿加工された生地が多く用いられる様になった

非常用のツェルトもテントの一種。これは袋状の簡易テントで、たためば缶コーヒーサイズにも成る
超小型計量の製品は、安全登山の必需品だ。


22)分水嶺(ぶんすいれい)
斜面に雨が降れば、雨水は低い方に流れ、川となる
傾斜が2方向以上に分かれると、水もそれぞれの傾斜に沿って分かれて下る
水が分岐するこの境界を分水界といい、特に山に降った雨水がそれぞれの稜線に沿って分かれる境界線を
分水嶺と呼ぶ。とりわけ山国である日本には、低山の尾根まで入れたら、無数の分水嶺が存在することになる

そこで便宜上、分水嶺にはランク分けがされる
一つの山で生まれた複数の川がのちに合流し、一つの川となって海に注ぐ場合が小分水嶺
分かれたまま同じ海域に注ぐ場合が中分水嶺、それぞれ別の海域に注ぐ場合が大分水嶺、または中央分水嶺だ

日本では太平洋側と日本海側を大きく二分するのが中央分水嶺と成るわけである。

23)フリー
岩登りが隆盛すると、それに伴って道具も進歩した
岩に穴を開け埋め込むボルトや、アブミ(携帯可の簡易ハシゴ)の利用は岩登りの難度をぐっと下げた

その時流に抗うように、アメリカのコセミテなどから発生したのが、登攀用具を排除する風潮。
岩に傷を残さずに安全確保の道具だけで、際どい岸壁を上るのである
これをフリークライミング、略してフリーと呼ぶ


24)御来迎(ごらいこう)

日本では御来迎と呼ばれるこの現象「雲中」の「阿弥陀仏」とされるのは、残念ながら自らの影。
周囲に現れた色鮮やかな「大円光」すなわち光の輪も、大気中の水分が光を散乱させて発生したものである。

光の波長や水粒子の大きさなどの条件が組み合わさって起こる気象現象だ
この現象はブロッケン、あるいはブロッケンの妖怪とも呼ばれる、ドイツのブロッケン山で良く見られる事がその理由だが
洋の東西で一方は仏様、かたや妖怪扱いである

山にまつわる思想、文化の違いが対比されるようで興味深い。

25)とかげ
晴れたからとセコセコ歩くばかりが山じゃない たまにはのんびり「とかげ」を決めるか
「とかげ」とは何のことだろう。

それは天気の良いとき このうえの岩の上で蜥蜴みたいにべったりとお腹を日にあたためられた岩にくっつけて
眼をつぶり 無念無想で寝ころんだり 居眠りしたり楽しみのことを言うんだ。
この様に岩の上で昼寝したり寝っ転がる事が「とかげ」今ではすっかり定着してる山用語である。

26)蚕棚(かいこだな)
山小屋も時代と共に様々な変化を」遂げる 今やランプの小屋などごく少数である
しかし客室を眺めれば 個室化がすすむ一方で今も継承される伝統も在る 山小屋らしい相部屋の事で在る

その相部屋だが 単なる大部屋 小部屋ではなく 上下二段形式の寝床であることも多い
山小屋を知らない人は「押し入れの上下の仕切りをそのまま大きくした部屋」と言いば想像が付くだろうか
このスタイルの部屋を蚕棚とという。

27)カヤト
「萱戸」とはススキの語源のことで 昭和20年代まで見事な銀色の穂波をなびかせていた
「カヤト」この奇妙な響きの言葉の語源は「カヤの在る所」らしい「カヤ」とはススキやチガヤ、オギなどの野生の
イネ科植物の総称で 昔の山里に欠かせない茅葺き屋根の材料であった

一軒の家でも新築や修理には大量のカヤが必要で 昔はその度に村人総出で刈り取りをした
丈の揃ったカヤを採るために 野焼きをしたり土地を整える この土地を茅場と言い 当時は村単位で茅場が在ったという。

カヤトとは手入れをされた山の茅場だったのだ。


28)オベリスク
南アルプス鳳凰三山「地蔵岳」塔が立つ 弘法大師も登れなかったと言われるこの岩峰は地蔵仏または
大日岩とも呼ばれてきた。

この地蔵岳の岩峰は「オベリスク」と呼ばれる事が多い。 ちなみに北アルプス燕岳の花崗岩峰なども
しばしばオベリスクと呼ばれてる。
もともとオベリスクは 古代イジプトで神殿に建てられた巨大な石塔のこと。 多くは花崗岩でできてるそうだ。

どうやら地蔵岳では イジプトの神殿とお地蔵さんが 図らずも同舟となってしまったようなのである。

29)ラッセル
深く積もった雪を一歩一歩踏みしめかき分け 体を張って道を切り開いて進む事をラッセルと言う
単調な繰り返しだが重労働 何度もトップを交代しながら遅々たる前進 それが豪雪国における冬山登山の宿命なのである

どうやらラッセルと言う言葉は 鉄道の除雪車の名前に由来するようだ。
ラッセル氏が開発したのが 線路上の雪をかき分けるラッセル車 そこから派生して ラッセル=雪かきと言う意味で
定着したのだ。

30)地塘(ちとう)
高層湿原とは 標高にかかわりなく寒冷地の湖沼で腐敗分解されずに泥炭化した枯れ草が堆積し
長い年月をかけ水面より高くなることによって出来る湿原の事である


塘と言うのは土手を意味する堤と同義であるから つまり地塘とは堆積した泥炭の土手(塘)に囲まれた池と言う意味だ。
立山の「餓鬼ノ田圃」や白馬岳の「神ノ田圃」などの湿原の呼び名には 山岳信仰の関わりも伺える

31)藪漕ぎ
山の楽しみ方は十人十色 人それぞれだ。中には道なき道を猛進する登山者も少なからずいる。
岩登りや沢登り、サバイバル登山(食料や装備の持参を極力排除した登山スタイル)など山を舞台に道なぞ頼らず
思うまま縦横に駆けめぐるのだ。

そういった道なき道を楽しむために、必ずと言っていいほどついて回るのが、「藪漕ぎ」。繁茂する樹木や草むら
さらに密生する笹藪に効果につっこみ、かき分けて前進して行くこと。手元の辞書には「漕ぐ」とは
櫓や櫂を動かして船を進めるとか、自転車のペタルを踏んで進ませると言ったことが記されてるが
藪こぎには櫂やペダルなどの道具類は一切必要ない 強いて言うなら体全体が藪をかき分け突き進む為の
一つの道具と化するので在る。

跳ね返され引っかかれ、あちこちボロボロに成りながら突き進むのが藪漕ぎの宿命であり、またそれが楽しみである
「獣になるのが藪漕ぎの極意」と言う言葉を聞いたことがあるが、確かに以前出会ったツキノワグマなどは、深々とした
ハイマツの急斜面を軽々と走り抜けていったから恐れ入る、とてもではないが人間にまねできるものではない。
それでも獣に近づこうと懸命に藪をかき分けるのが「藪漕ぎ」なのだ。

32)モンスター
雪国 東北 宮城と山形の県境部には百名山でもある蔵王山が横たわる
1914(大正3年)年のこと 蔵王に向かった地元関係者の冬山探検隊によって発見されたのが林立する巨大な
雪氷の固まりであった。

このときこのオブジェには「雪の坊」と名が付けられたと言う。
下って1928(昭和3年)年。 山形高校(後の山形大学文理学部)山岳部は 山小屋「コーボルトヒュッテ」を建て
冬の蔵王での生活を試みた 教授であり部長でもあった安藤徹は 雪に覆われた針葉樹の群立を前にし
「蔵王さんの針葉樹ことごとくお化けのような姿に変わってしまったのを見て物恐ろしげに感じられた」と記す

「熊・樹氷・自然」そしてこの現象を樹氷と名付けた。 さらに同書には((中央書院)ヒュッテに集まった学生たちが
初めて見る雪の怪物を「モンスター」と呼んだと言う事も記されてる 
こうして「雪の坊」は「樹氷」となり「モンスター」となったのだ。

33)雪形(ゆきがた)
桜前線が中部・東北地方を華やかに北上していくころ 白一色だった山の雪が溶け始め山肌に斑の模様が出来る
その模様を動物や人などに見立てて 稲作の苗代つくりや種まきの時期を決める目安の農事暦としたのが「雪形」だ。

雪形は雪が白く残って出来るポジ形、雪解け後の黒い地肌が浮かび上がるネガ形の二つに分かれる
田淵行男著「山の紋章 雪形」(学習研究社)によれば全国で300余りの雪形が確認されてる
大雪の積もる北国と標高の高い中部山岳地帯に多く 新潟県には80以上もの雪形があると言う

雪国でも比較的稲作の歴史の浅い北海道にはそれほど多くないようだ。

34)ツボ足
かんじきやスキーなどの道具を使わず 登山靴だけで雪中を歩くこと ツボ足と言う
(アイゼンを付けることもある)
一歩一歩雪の上に壺のような穴を開けながら進むので この呼び名が付いたのだろう深雪でなくても
ツボ足で歩くと披露がかさむ 特に表面が凍り付き中が柔らかい雪では足を引き抜くのも一苦労だ。

35)パーティー
山登りにおけるパーティーとは 山行きのメンバーグループを指す 本来チーフリーダーとサブリーダーが
しっかりと決まっており その他の人員もそれぞれ役割分担をしながら 全員で歩みを合わせ目的の山を目指す

同じ釜の飯をくらい 苦しみと喜びを分かち合う仲間であり またそこから信頼の絆が深まってゆくのである
従来の登山パーティーのイメージとは そういった統率感のある山行きグループなのだ

しかし昨今のパーティーはこうした以前のイメージからはずいぶん様変わりしてる
リーダー不在の仲良し登山グループパーティーや 登山ツアーなどによる急造のパーティー 中には
ネットオフ会パーティーなどと言うのもある 時代の流れによるものだろうが いささかもの悲しい気がするのは
年を重ねたせいだろうか。

36)お助けひも
沢登りなどであと一歩と言うところで行き詰まる事がある
チョットした岩が超えられない どこかに手がかり足がかりがないかと 指さきで岩をまさぐっても指の引っかかりの
浅さに どうしても次の一手が繰り出せない こうしたどうにも情けない思いをすることは案外多いのだ。

そんなとき 目の前にすーっと一本のロープを垂らしてもらいると それだけで難所を越える事が出来るのである
太くて長い登坂ロープを取り出すほどでもないが 道具なしで進むには難しい こういった場面で役立つ簡単な
ロープの事を「お助けひも」と呼ぶ このお助けひもを装備に加えると非常に便利である

スピーデーに登坂を「お助け」してくれるだけでなく 荷揚げをはじめ幾道りにも応用できる
お助けひもによく用いられるのは登坂用の規格(太さ8〜11mm 長さ50m前後)の物より細く短いロープ
あるいはテープという幅広のひもなどもしばしば利用された。

37)ストーブ
山で使われるストーブとは 調理用の携帯コンロを指す 白ガソリン(沸点が低い石油精製品の一つ)や
灯油、カートリッジ式ガスコンロが普及してるが それよりずぅと小型で 最近では余裕をもって
手のひらに乗るほど小型化が進んでる。

その一方で火力はめっぽう強い自炊をしての山行きには心強い味方である
ストーブをバーナーという呼び方もあるが こちらはオートキャンプ愛好家が良く使う言葉だ

火口の数が一つの物をシンングルバーナー 二つの物をツィンバーナーまたはツーバーナーと
呼び分ける 火口が二つの物は重すぎ登山には向かない。

38)カール
紅葉シーズンでもっとも賑わう「唐沢カール」や日本最高所のロープウェー駅がある「千畳敷カール」
など 日本アルプスをはじめとする山岳地帯には「カール」と言う言葉を含む地名がいくつもある。

この「カール」とは今から一万年以上前に日本にも氷河があったことを示す 山に刻まれた壮大な痕跡だ
斜面に堆積した巨大な氷のかたまりが 山肌を削って徐々に滑り落ちる この氷が気温の上昇で解けた
後に スプーンでえぐった様な窪地状の地形が残る 此がカール(圏谷)けんこくである。

39)チン
何度となく山に登るようになれば避けられないのが悪天候 叩きつけるように吹き荒れる空模様に
リーダーの悲痛な決断が号令一下される「チン」

もちろん何一つ珍しいことが起きるわけではない 山小屋でテントで あるいは
(野営のため雪の中に掘った穴)で 天候不良の祭に行動を控え待機することを「沈滞」あるいは
「沈殿」と言う。 その沈殿を「チン」と訳すことも多いのだ。

40)リングワンデリング
山を歩いてるとごくまれだが不思議なことが起こる。 以前どこかで見た風景に実によくにてる
さてどこで出会った景色だろう などと考えてるうちにハット気がつく そこが今さっき歩いて来たばかりの
場所だと言う事に まったく気がつかずに ぐるっと大きく一回りして同じ場所に着いてしまう
これをリングワンデリングと言う。

身近な山で藪漕ぎをしてるときなど リングワンデリンングしてしまうことがある まるで
キツネかタヌキに化かされたような心地の悪さをおぼえるのだが 里からそれほど遠くない場所ならば
だいたい何とか自力で下山し迷った地点の特定も出来るものだ。

しかし悪天候に視界を奪われた冬山や どんよりとからみつくような深い霧にまかれたときなど
視界が極端に乏しく地形の特徴さえつかめない状況でのリングワンデリングはかなり恐ろしい
現在地が不明なら行く先も不明。 まさに五里霧中である。

41)シャリバテ
シャリバテのシャリは白いご飯 すなわち銀シャリのことである。
山行中 急に体から力が抜け ふらふらへたってしまうことがある 血糖値がぐっと下がり体力が続かない
腹が減って歩く気力すらわいてこない こういった状態がシャリバテ 空腹 糖質不足が原因の
一時的な血糖値低下 車にたとえればガス欠状態といったところ エネルギー源が絶たれ
疲れが全身を包み込んでしまうのだ。

シャリバテになったら直ぐに糖質(デンプンなど)をとることだ。これで驚くほど回復を遂げることも多いのだ
また シャリバテ防止には 山行中こまめに糖質をとっておく事が効果的である。

42)観天望気
「観天望気」読んで字のごとく空を見て天気を予想すること。雲の形や流れ 風の強さなどから 長年の
経験で天候を予測する方法だ。

例えば日本の天候は西から東へと変わっていくのが普通だから 西に雲がなければ夕焼けが綺麗で
明日は晴れと言う事になる。同じようによく知られるのは「朝の虹は雨」虹は太陽を背にした前方
(朝なら西側)に見えるもの 西に霧や雨のスクリーンがあるから虹が立つ だから今は晴れていても
やがて雨になる というわけだ この様に天気に関することわざや言い伝えには それぞれ観天望気に
のっとった根拠があるものなのだ。

43)ルートファインディング
ルートファインディングとは登山中に周囲の状況や地図情報 そして自らの体力や経験を頼りに
進むべき道を探していくこと 要は安全に登って下山する道探しの事である。

登山を重ねてれば在る程度のルートファインディング能力は自然に見につくものである
ただしツアー登山では 闇雲に旗振り役に追従するだけで到達できてしまうので
ルートファインディングの能力はあまり育たない。

一方 積極的にルートファインディングを楽しむ登山もある すなわち地図やガイドにないルートをあるき
目標となる場所をめざす。小さな冒険だ

これは読図の訓練にも成り 達成感も高い 近年はインターネットを通じてこうしたルートファインディングの
成果と言うべき登山情報が盛んに公開されるように成ってきた。

44)行動食
山の楽しみに昼の食事を上げる人も多い 疲れた体に染みいるおいしさは 
町での昼食とは比べものに成らない ところで少し厳しい登山では弁当を広げる余裕 あるいは調理する
ゆとりがないと言う事がしばしばある 時間に追われ食べる場所を確保するのも難しい

荷物の重量軽減のため計画段階から食事制限を前提とする登山もある
そういった山行きでの昼食代わり「行動食」文字通り行動しながらの食事であり 小休憩などのちょっとした
空きに食べるのが通例 多くは高カロリーで その上のどの通りやすい食べ物が多い

せんべいやチーズ ビスケット チョコレート 魚肉ソーセージ あるいは栄養バランス食品などが行動食の
主なメニューである ただし口に中でモコモコ感が強いとなかなか飲み下せず往生する
ゼリーの様な水分の多い物は喉を通りやすい 食べ物だけでなく水分もバランス良くとっておきたいものだ。

45)エビノシッポ
寒い季節の山に登ると「エビノシッポ」に出会うことがしばしばある。
しかし残念ながら生き物ではない。 風当たりの強い厳寒の地で冷却された水滴が岩の角や樹木の枝
あるいは指導標などに付着してカチカチに氷結する さらに同様のプロセスが何度も繰り返されると
風上に向かって氷の固まりがが膨らんでゆく。

この様にして出来上がった尾びれの様な氷の固まりを「エビノシッポ」と言うノである。

46)サバイバル登山
サバイバル登山 あまり聞いたことがないという人もいるだろう
それもそのはず この言葉の歴史はかなり新しい 一時的に認知されたのは2006年発行された
「サバイバル登山」(服部文章著・みすず書房)からと言ってもよい

山岳情報誌「岳人」2001年10月号巻頭で特集したのは「サバイバル山行」「自然に近づく登山術」
と言う副題がつくように 現地調達・文明拒否を揚げた登山のことである

47)机上登山
備えあれば憂いなし とは何も天才に限った事ではない 学生なら予習 事業ならシミュレーション
登山では机上登山と言う演習がそれにあたる

その名の通り机の上で行う仮装登山で 資料をもとにし コース上の危険や難易、水場・展望・休憩適地
などを予想する山登りのシミュレーションである。

48)ゴア
「ゴア」正確にはゴアテックス アメリカで1969年に開発された
70年代終わり頃から市場に現れ「防水透湿性」素材の商標である 雨を通さず汗の水蒸気を透過する
と言う機能を引き下げ華々しいデビューであった 

水蒸気分子より大きく 水分子より小さな穴の無数に開いたフイルムが生地に接着されてると言う
構造には驚かされた 一般雨具の倍以上の価格でなかなか買える物では無かった。

49)森林限界
例えば百名山の常念岳(2857m)では一の沢の樹林帯を登るにつれて落葉広葉樹がコメツガ・
トウヒなどの常緑針葉樹やダケカンバに変わり やがて樹林の背が低くなって山が見えるようになったか
と思うと ポンと常念乗越(2450m)に飛び出す

槍・穂高連邦がずらっと見えて思わず歓声が上がるポイントだ
ここから上には樹林が無いと気づいたら、そこが「森林限界」だ 森林限界とは気温・積雪・風などのために
それ以上は樹木が育たない限界ラインで そこから上はハイマツだけが斜面にへばりついてる高山帯になる

憧れの高山植物は木も育たないこんな厳しい環境の中で生きてるのだから 大切にしなければ成らない
森林限界は標高ではなく温度で決まるため中部山岳では標高2500mぐらいだが緯度の高い北海道の
大雪山では1000〜1500mまで下がる。

50)廊下
狭く深い谷がいっそう厳しさをます 両岸に覆い被さるように切り立った岩が迫ってくる見上げれば
空の狭さに思わず押しつぶされるような圧迫感 谷を辿る沢登りでは様々な場所を歩く
連続する滝を越え 高巻く それは自分の判断で登路を探す旅であり 未知なる道の楽しみが
凝縮されている。

さて、そうした山旅でしばし出会うのが極端に狭まった谷間である
谷底を洗う流れは 場所によってはよどんだ瀞となり不気味なほど静かだ 一方では唸りを上げ暴れまわる
連暴が狭い谷全体を呈暴音の震動で包み込む 

こうした狭まった谷間を「廊下」あるいは「ゴルジュ」と呼ぶ 廊下でもっとも名高いのは黒部川だろう
谷全体がことごとく峻険で黒部ダムを挟んで下流は下ノ廊下 上流は上ノ廊下 さらに源流域は
奥ノ廊下と称されてる。


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