言葉に重みを   平成14年6月8日    戻 る


  私は思う

  今日の会話は何を信じて話せば良いのかと 会話に責任が無い 自分が言ってる事に責任がない  
  平気で嘘をつく 約束を守らない 時間にルーズ 等々・・・・私は何を信じて良いか解らない時がある

  約束は破るためにある等と言う人がいるが?? 言葉の約束は文章より契約書より重みがなくてはと思う
  なぜなら お互いが信じる事で成り立つからである

  時間にルーズな人は 嘘も平気でつく様におもいる 時間に遅れるならば遅れると連絡する手段は
  限りなく在る と 言っても過言ではない

  一つの約束を破る それは多くの約束を 日常的に 平気で破る切欠になる怖さがあると思う
  
  約束を忘れる これは誰にでも在る
  只 約束を忘れたのか 覚えて居ても約束を守らなかったかは 後の話で必ず解ると思う

  また 簡単に(軽く)約束をして 直ぐに撤回する 
  約束の内容に関わらず 自分の都合だけで 平気で考えが変わる

  日常の会話で自分が言った事に責任を持つ事 これは当たり前のことである

  言葉には魂が入ってると  言霊と言う言葉が在る様に
  人の言葉は限りなく重く ある時は人を癒し ある時は人を傷つける 
  
  私達の運命は一寸した切欠(考え)で 良くも悪くもなる
  自分が話した約束を守るためには 多少の自己犠牲は覚悟しなくては成らない時もある
  だから約束を守れない人は 約束を守ると自分に言い聞かせる切欠を作ってほしい

  自分一人で生きては行けない
  だから約束は守り 自分は多くの人と共に 生かされてる事を感じなくては成らない
  それが 日々 楽しく生きる為に必要な 最低条件であると思う

  たとい どんなことでも 自分が話したことには責任を持ちたいものである
  言葉には重みがほしい 重みがなくてはえけない
  それが 仕事であり 遊びであり 趣味の世界であり 全てに・・・・・

  私はそうなりたい  そうしたい  そして人間が皆

                  ・・・・・SEI