良いね人世は! 平成18年1月7日


定年まで後2年・・・ 定年までにやらなくてはと計画されてる仕事を思い浮かべて机上に居る私
そんな自分をよそに定年後の計画をニヤニヤしながら足早に組み立てる
一年目は海外の山を数ヶ月かけて登る 二年目は日本列島を車で移動し野山を駆けめぐる 
三年目は仲間と・・・・・4年目は・・・・・70才に成ったら・・・90才に成ったら・・・100才は???と
思いを馳せらせて人世を読むと だんだん無邪気にになり年が若くなるような気がする
若くなれるのかもしれない、いや若くなるのだ 「体」全体から力が沸き 血が騒ぎ熱くなる

真冬の外気温は0度 部屋の気温は13度 私が感じる体感温度は30度はあろうか本当に体が熱くなる
無邪気にひた走りする我が道 必ず自分の計画は実行すると言い聞かせると全てが旨く行くような気がしてならない

エベレストのコースは何処にしようか 7000m位までは行けるかな トレッキングコースは
カラパタール コース ・ ゴーキョ コース ・ チュクンコース等と考えるだけで体はエベレストに到着してる
ヒマラヤの朝は白い山脈が目の前に広がり 透き通る青い空 民族衣装の人が側にいる
氷?で出来た山容が荒々しく尖ったピークに太陽が落ちる 食べ物が特に美味しい 凄い世界だね!

今 自分が本当にヒマラヤの麓に居るのに 本当かなと疑いたくなる光景 顔をつねる痛いやはり現実なのだ
アイランドピークから眺める山脈は白い彫刻だ 今日は穏やかな天候で風もない シャツ一枚で熱いくらいだ
明日もずーと 帰りは2ヶ月後 まだまだ楽しむぞーと気合いをかける自分にエネルギーが注がれて飛び跳ねたく成る

一ヶ月近くなり友達が出来た 挨拶やお話は悠長な言葉で? 戸惑うがユーモアーたっぷりに話す
自分が此処にいることが当たり前になり 少しずつ楽しみが増えてきた・・・・・・
この辺でエベレストとお別れする事にしよう 日本列島を車で駆けめぐる為に日本に帰る。

帰宅したのは3ヶ月後 すっかり外国ぼけした自分に語りかける 良いな やっぱり日本は良い
安心するね この景色が俺には会う と 今までの夢の世界を否定するような言葉が出る
新幹線にゆられて帰って来たのは 夜中の10時 そそくさと寝床に入る

いよいよ日本列島縦断 野山の旅が始まる 気ままに行き先を決めないで飛び出した
愛車の四輪駆動車が重い荷物を背負い走り出したのである
今回も予定は三ヶ月 北から南まで何万キロ走るか想定外である
最初に寄ったのが金沢八景 神社や庭園・池に係る橋など修学旅行の生徒のように順序よく回る

次に鳥取〜島根〜山口〜九州〜四国と縦断する 屋久島にも寄るかと気ままな旅を楽しみました
奈良により大仏様を参拝 座高の話やポーズや柱の穴など興味深く話をする

車窓から見える富士山の麓では富士五湖を巡り五合目で休憩をする 途中まで登り下界を眺め満足!!
もう既に予定の半分の日数が過ぎてしまった 日本列島縦断は3ヶ月では足りないのか??少し飛ばそう
横浜ベーブリッジを渡り茨城にぬけて東北に戻る 太平洋の荒波に削られた三陸リアス式海岸は見事である
岩井崎〜御崎岬〜碁石海岸と続き海岸の岩盤にはニッコウキスゲが咲いていた

青森の八甲田山ではロープウェーに乗り山頂まで行き北八甲田山や遠く岩木山・鳥海山・岩手山等を遠望した
日本海に道順を取り秋田〜山形〜福島に戻る頃は予定の三ヶ月が過ぎようとしていました。

時は70才の青年期 遊びばかりでは満足しない 何か人の為に成ることはないかと模索する
丈夫な体を生かして山小屋を使い子供相手の自然食と山遊びと言う季節学校を開校した

十年後 80才の若造は未だに野山を駆けめぐり元気に過ごす
このころから自給自足の生活を試みるようになり全ての食料を作る様になる が 米だけは買って居るようだ
わずかの土地に数種類の野菜や花を作り これが生き甲斐なのだと威張ってみせる若造が血色の良い顔を歪める

さすがに90才に成ると元気がなくなる と 思いきや何のその黒光りした肌につるつるの頭が動いてるではないか!!
腰も曲がらずひょこひょこと歩く姿は レッサーパンダの道化の様に映る 愛くるしい顔は90才には見えないのだ

100才の鼻たれ小僧は 今日も元気に野山を駆けめぐる

良いね人世は・・・・・いつまでも元気がいい 元気が一番だね 
未だ見たことがない”良いね人世は”でした。

                                  ・・・・ SEI ・・・・


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