■祐太朗が残したもの
疲れと寝不足のせいもあり、葬儀が終わった日の夜は泥のように眠ってしまいました。
朝、目がさめたときにまた、昨日までのことは夢ではなかったのだろうかと思いましたが、やはりこれは現実で、もう祐太朗はいないのです。祐太朗のいないこの後の何十年もの人生をどうやって生きていけばいいのか、考えることはそればかりです。
警察から返された祐太朗の持ち物を、お父さんと弟と私と3人で一つ一つ調べるように見ました。財布には、死の前日、買いたいNゲージがあるからというので私が渡した1万円がそのまま残されていました。カメラもありました。おそらく、通学途中に電車の写真を撮るために持っていた物でしょう。教科書やノートが無造作に入ったカバン、それといっしょに持っていたリュックの中には柔道着、そして切られた柔道着の帯と制服のネクタイがビニール袋に入って入れられていました。これが彼の命をうばったのだと思うと、たまらない気持ちになりました。制服のポケットに入っていた物も、全部ビニール袋に移されていました。小銭、家の鍵、折りたたまれたプリント、お菓子のゴミなどでしたが、みんな彼のなごりが残っていました。
そして、携帯電話です。ここにきてようやく、祐太朗が生前友人たちとやりとりしていたメールの中身を見ようという気持ちになることができました。彼が発見された当日は、「大丈夫か」「生きてるか」「返事くれ」など、安否を尋ねる友人たちのメールでいっぱいになっていました。それ以前の友人とのメールのやりとりの中から、家族が知らなかったこと−−祐太朗が自殺をほのめかしていたことと、これが自殺の理由だろうかと思える彼の考えていたことが分かりました。
祐太朗の自殺の理由の、本当のところは祐太朗にしか分かりません。ただ、彼が死の直前家族に言っていたことや、残されたメールの内容から、当時彼に起こった出来事や、考えていたことのほんの一部は分かりました。
▽学校で放火事件があったときに犯人と疑われた
▽学校の授業方針に大きな不満と怒りを持っていた
▽成績や進級についての不安があった
▽心が疲れてしまったり、体調をくずして通院している同級生を大変心配していた
今から思えば、私たちが思っている以上に祐太朗自身も疲れてしまっていたのですが、それを1人で解決しようとしたのかもしれません。
「この学校は、誰かが死なないと、変わらない」
死の前日、彼が言っていた言葉です。私は、「自殺」という意味にとれたので、
「あんたは死んだらあかんし、死のうとしている子を止めないとあかんよ」
と、言いました。翌日、彼が学校へ行く前、疲れた顔をしていて少し不安に感じたので、
「あんたは死んだらあかんよ」
と、もう一度声をかけました。
「分かってる」
と、彼は言ってくれましたが、それが最後の会話となりました。
■おわりに
今になって考えてみたら、悔やまれることばかりです。あのときにああしていれば、こうしていればと思うのですが、もう取り返しはつきません。どんなことをしても祐太朗は帰って来ないのです。私たちはかけがえのない家族の1人を永久に失ってしまいました。そして、その悲しみ、苦しみは死ぬまで消えることはないでしょう。
祐太朗の自殺は、本当に多くの友人知人を悲しませ、家族を不幸のどん底に突き落としました。自ら命を絶つことによって、あなたの悩みや苦しみは消えるかもしれません。しかし、そのあと残された家族はそのことによって自分を責め、一生苦しみ続けることを分かってほしいのです。
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