平成30年5月19日
天候(曇り~雨) 深山を走る車旅
柳津町(虚空蔵尊)境内より只見川 19日は小雨で強風が吹き荒れています 予定では想山登山でしたが変更して奥会津ぶら旅となりました 境内案内板 地蔵様 最初に訪れた場所は柳津町に在る虚空蔵尊です 広い境内を探索して参拝をしました 牛の像 圓蔵寺 「会津きっての名刹・福満虚空藏菩薩圓藏寺は千二百年にもおよぶ歴史を誇り、 今でも多くの参詣者を集めています。ここは茨城県東海村の大満虚空藏尊、 千葉県天津小湊町の能満虚空藏尊と共に日本三大虚空藏尊の一つに数えられています。 縁起によれば、弘法大師が唐の高僧から霊木を授かり、 帰国後にその木を三つに分かち海に投げいれたところ茨城、千葉、そしてここ柳津に流れついたといわれます。 霊木漂着の知らせを聞いた大師は、さっそくその木で虚空藏尊菩薩を刻みあげました。 それを受け会津の名僧・徳一大師が圓藏寺を開創したと伝えられています。」 上記は虚空蔵尊HPより抜粋致しました 只見川 福満虚空藏尊(菊光堂) 境内からは眼下に只見川を一望できます 境内の様子(赤ベコ) 石 碑 「会津の代表的な玩具「赤べこ」の発祥地は、実は柳津だったのです。 その昔、寺の大構築の難工事の際、どこからともなく巨牛が現われて大変な働きをしたのだそうです。 菊光堂の周辺には牛の像がいくつかあるのも、このような伝説からなのです。 福満虚空藏尊は丑・寅の干支の守り本尊でもあります。」 人形塚 参 道 「人形は、壊れてからといってポイとは捨て難いなにかをもっているものです。 そんな思いからこの人形塚は生まれました。 大正11年、隣の会津坂下町の教諭片山鱗一さんがこの人形塚の建設を思い立ちました。 これに円藏寺住職をはじめ、多くの童話作家などが協賛、 塚は大正12年に完成しました。 コケシ型の石碑にカッパの絵で有名な小川芋銭の文字、 碑の下には観音様が埋められ、全国津々浦々から寄せられた600体の人形が埋葬されています。」 上記はHPより抜粋致しました からむしの里 工芸博物館 次に訪れた場所は昭和村に在る「からむしの里」です からむし 標 本 博物館の中には出来上がるまでの工程と供に 製品などが陳列されています 昔から変わらぬ手法で高品質な「からむし」を作り続けてきました 縄文の頃より供に生きて来た、人と食物の営みを 未来につなぐと案内されています 横綱(不知火型) 織 機 横綱の化粧まわしが在りました 織姫交流館 織物機械 織姫館には体験できるコーナーもあります 旧喰丸小学校(廃校を訪ねて) 校庭に在る巨木 昭和12年に建築された木造二階建ての校舎に、 多くの子どもたちが学び、校庭を走り回りました。 冬は積雪のため、2階を全面使って体育の授業を行ったそうです。 校長室 改修工事 戦後から高度成長期に向け、生徒数も増え、 最盛期には全学年で100名を超える生徒が在籍し 、昭和39年には校舎が増築されました。 しかし、昭和40年代以降、都市部への人口流出など過疎化が急速に進み、 生徒数が減少し、昭和55年、喰丸小学校は廃校に。 そして、村にいくつもあった木造校舎は解体され、旧喰丸小学校だけが残りました。 廊 下 当時の机&教室 日本の懐かしい風景が残る福島県の昭和村。 地元の人でなくても「ここにまた帰ってきたい」と思わせるような場所です。 ここで約80年間、村の子供たちの成長を見守り続けた旧喰丸小学校は、 老朽化が進み、幾度となく取り壊しの話がありました。 木造廃校舎が生まれ変わり、日本の古きよきが新しく「昭和村らしさ」を伝える集いの場として、 これからもずっと村やたくさんの人々と共にありますように。 上記は昭和村HPより抜粋致しました 温泉施設 露天風呂 昭和村には多くの温泉施設があります その中でも気になった「しらかば荘」に寄りました フロント内 玄 関 源泉かけ流しの温泉は、ゆったりとして気持ちの良い施設でした 隣りには村民風呂が在り無料と案内されています 村民ではないので 入浴料¥500をお支払いさせて頂きました・・・笑 玉梨豆腐店 入 口 最後に「まぼろしの豆腐」店へ 「青ばと」 豆腐が有名なお店の様です 駐車場案内板 店内の様子 街道沿いに多くの幟があり気になりました 寄ってみると幻の青大豆を使った豆腐が並べられています 値段も豆腐も興味津々だ・・・笑 青ばと、とは奥会津金山町玉梨地区の方言で「枝」を指します ぬける様な青空と見渡す限りの大自然の中で育った豆を 厳選して使用した豆腐と案内されていました 動画をご覧くださいね! 戻る |